日本では、とんでもない極悪犯は死刑になる。
どんなに逃げても、隠れても、ほとんどの場合は結局、警察や特殊部隊に見つかって捕まる。
逮捕され、裁判にかけられ、死刑が確定し、しばらくして刑が執行される。
捕まえる側も、作戦を練りに練ってなんとしてでも捕まえようとする。夜中に突然奇襲したりもする。
そうして捕まるとき、犯人は抵抗することがある。
その際、犯人の抵抗によって万が一捕まえる側やその他一般の人々に命の危険が生じる場合は、
「最後の手段」として犯人は殺害されることもある。
この場合は、やむを得なかったこととして捕まえる側も罪にはならない。
しかし、「最後の手段」の基準は厳しい。
ちょっとでもそれを見誤ると、捕まえる側も有罪になる。
また、どんなに凶悪な犯罪者であっても、その家族や親戚はあくまで「一般人」。
共犯であったり、情報の隠蔽などの幇助をしていなければ、決して罪にはならないし、逮捕もされない。
これは現代の日本の、あたりまえの話。
ここからは例え話。
日本に、ある一人の犯罪者がいた。
彼の首謀した残虐かつ卑怯な犯罪によって、多くの人の命が失われた。
大切な人を失った多くの人は悲しみ、たくさんの人が彼を恨んだ。
警察はなんとしてでも彼を探そうと、全国に指名手配をした。
彼は日本共通の敵だと、首相はそう言った。国民も支持をした。
様々な情報や憶測が飛び交うなか、捜査は進められていった。
数年が経ち、彼がいる場所と思われる有力な情報が次第にわかってきた。
検察は逮捕状の請求をした…わけではなく、首相が「彼を殺害せよ」という命令を下した。
そしてある日の夜中、警察と特殊部隊は彼がいると思われるある邸宅に向かった。
予想は的中し、彼はそこにいた。
警察は彼を見つけるや否や即時に殺害した。
銃撃戦のさなか、彼は同居していた奥さんを人間の盾として差し出した。
でも、奥さんもそのまま銃で撃ち殺した。
一緒にいた息子も、有罪判決はなかったけれど、その場で一緒に殺された。
これら一連の殺害計画の達成について、首相は褒め称え、そして正義は達成されたと全世界に向けて誇らしげに演説した。
司法も、今回の警察のやり方の正当性については一切触れなかった。
拘束ではなく殺害はやむを得なかったのか、そんな問題提起はなかった。
新聞もテレビも彼が死亡したニュースを速報し、歓喜を煽った。
国民は、彼が死んだことに対し大興奮して喜んだ。
大切な人を失ったりなど被害の直接の当事者ではない人も、皆が喜んだ。
都心では、首相の名前とニッポンという掛け声を叫ぶ人たちで夜通しお祭り騒ぎになっていた。
現実感を出すためにあえて日本で例えてみたけれど、これがもし日本で現実におきていたら、本当に怖い。
でも、似たようなことが海の向こうで起こってるみたい。
念のため申しておくが、私は決してビンラディンを擁護するつもりは毛頭ない。
彼の首謀したテロは悪だし、アルカイダは消滅すべきだと思っている。
9.11の被害に遭ったご遺族の方々のお気持ちを察すると本当に心が痛むし、その首謀者を憎んで当然だと思う。
そもそも被害に遭われた方々の辛い悲しみをまるまる共有することは到底できないのだけれど。
ただ、様々なことをふまえて、この現状に違和感を覚える。