青年海外協力隊は、日本と派遣国との間で「協力隊を送ってください」「協力隊を送ります」という派遣取り決めがなされ、それに基づいてJICAが隊員を各国、各任地に派遣しています。
その際、「うちの国はこういう問題があるのでそれを解決する人材がほしい」といった『要請』と呼ばれる仕事内容が作られ、それが一つの国につき複数存在します。(病院で指導してくれる看護師を送ってほしい、自動車整備技術を持った人を派遣してほしい、など)
募集の際には、これらの要請を国ごと・職種ごとにまとめた「要請リスト」が公開され、それに基づいて応募・選考が行われます。
基本的に一つの要請につき一人の隊員が2年間それに対して活動をしていくこととなります。
要請の内容は同じで活動場所(配属先)が異なる、という場合もあります。
したがって、要請の多い国ほど隊員の派遣数も多くなりますし、逆に全く要請の無い国もあります。
(ちなみに私の要請内容についてはこちら
http://bepositive429.jugem.jp/?eid=8をご参照ください)
さて、こうみるといかにも途上国側が自国の抱える問題の解決を日本に依頼し日本側がそれに応じている、と思えますが、現実はちょっと異なります。
実際には、各途上国にあるJICA事務所(JICAベナンなど)が、各国の問題点について自分で調査をして、協力隊の活動として成り立ちそうなものに対して「こういう問題に対して日本から人材を派遣してもいいですか」と現地政府に持ちかけ(語弊があるかもしれませんが、一種の「営業」に似ているかもしれません)、現地政府が承認したら無事要請として成り立つといった仕組みになっています。
誤解を恐れずに書きましたが、もちろん現地政府のニーズと全く合っていないわけではありません。
そもそも途上国側が自国の問題について意識すらできておらず、それに対してJICAが問題を投げかけ、途上国側も「そういったことが問題ならぜひとも援助していただきたい」といった形で協力隊を派遣するケースが多いと思います。
しかしながら、全てがそういったわけではないのも事実のようです。
おせっかいまでとはいかなくとも、途上国側にとっては別に喫緊で人を必要としている訳ではないのに、とにかく派遣する数、要請の数を増やすということも行われているようです。
ちなみに隊員一人を派遣するのにかかる研修費用・航空運賃・二年分の住宅費・生活費などの巨額な費用は全て税金でまかなわれています。
何故そこまでしてそのようなことをするのでしょうか。
一つの説として言われているのは、活動の結果はどうであれとにかく派遣する数が増えればそれだけ日本のODA(政府開発援助)の実績も上がるので(青年海外協力隊はODAの一環として行われています)、その結果国連や世界各国に対する発言力が強まるから、だそうです。
実際に事業仕分けでもこれ(青年海外協力隊の大量派遣の必要性)については相当厳しく追及されていました。
ただ、これに対して擁護するわけではないですが、派遣してみないとわからない、というのも事実だと思います。
派遣時にはニーズの低い要請内容だったとしても、その隊員が2年間活動していく中で、その土地・そこで暮らす人々にとってなにかしらの良い影響は多かれ少なかれ必ず生じると思います。
そして、隊員自身にとっても、その経験は今後に役に立つことが大いにありうるかもしれません。
したがって、協力隊員一人一人が日本の税金を使って来ているということをしっかりと意識し、決して生半可な気持ちで過ごさない、といった意識を持つことは相当大切なことなんだろうなとは思います。
しかしながら、現実には隊員にとって一つの大きな問題が生じていることも事実です。
それは、上記のように要請内容と途上国(派遣受入国)側とのニーズが合致しておらず、または共通の認識がないために、隊員によってはいざ配属先の職場に行ってみたら「JICAって何?うちに何しに来たの?」と言われるようなケースも少なからずあるということです。
自分の働く机がないこともあれば、別の機関に配属するものだと思われていたり、「よくわかんないけどとりあえず日本人がやってきた」と職場の人に思われているということがどこの国でも数多くあるようです。
これは最近の話ではなくだいぶ昔から生じていたことのようで、その原因としては、政府から各配属先機関にうまく情報伝達がなされていないだとか、要請や派遣取り決めの打ち合わせをしてから実際に隊員が派遣されるまでには一年近いブランクがあり、その間に担当者が変わってしまっている、といったこともあるようです。
そして、じつは私の配属先(視学官事務所という、日本の教育委員会のようなところ)も例外ではなく、このような感じなのです。
幸いにもみんなとても気さくでいい人で、職場に顔を出すたびに大歓迎してくれてありがたいのですが、私が何をするために来ているのか、そもそもここで働く一員だということを知らない人も多いようです。
前任の隊員が一人いたので直属の上司は協力隊のことについて少し理解してくれていますが、彼女が帰国して半年以上経っているため、自分のことをみんなに知ってもらうのはこれから、といった感じです。
(もちろん自分の仕事部屋も机もまだありません笑)
でも、これに対して嘆いていても仕方ありません。
過去の先輩隊員たちはみんなこの状態から徐々に自分を知ってもらい活動の幅を広げてきたし、むしろそれも協力隊の活動の一つだと思っています。
仕事は与えられるものではなく、自分で見つけるもの。
何者なのかも分かられていない状況から、徐々に職場の一員として入り込み、ちょっとずつ活動を広げていく。これこそが多くの隊員が悩みつつも経験してきてることなんだろうなと思っています。
小学校は10月まで夏休みなので、学校の訪問はまだ出来ていません。
直属の上司は明日から一週間ほど不在にしてしまいます。
でも、きっとできることはたくさんあるはず。
先輩隊員の中には、とりあえずはじめは事務所に居座ってひたすらフランス語を勉強していた、という人もいます。
事務所には各学校の校長先生もちょくちょく訪れるので、結果的に多くの校長先生と顔見知りになり、その後の学校訪問もしやすくなったといいます。
いまは「何時までに出勤して何時に帰る」といった勤務時間が決まっていないので、ともするとサボろうと思えばいくらでもサボれてしまいます。
でも、それでは何のためにここにきているのかわからない。
日本で目が回るほど忙しい毎日を送っている元会社の同期や後輩・先輩、一生懸命働いたり勉強している友人たち、応援してくれている仲間や家族に申し訳ない。
頑張りすぎず、焦らずゆっくりととは言ってもらえる。もちろん、協力隊の活動に際してそれは大切なことだと思います。
しかし、自分に甘くなりすぎず、やるべきことはやる。
口だけにならぬよう、一日一日を大切に生きて行きたいと思います。
駒ヶ根訓練所の班のひとりが作ってくれた、みんなの目標をまとめたラミネート。
訓練最終日のサプライズプレゼントでした。